大阪府高槻市に「ナカムラこどもクリニック」という小児科があります。ピンクの建物で目立ちそうな外観ですが、高槻の住宅街の中ではひっそりとした感じがします。小児科が減っていくこの時代の流れに逆行するかの如く開業された中村先生。
訪れた多くの方が驚くのは、その先生の外見。医者の象徴たる白衣を着ていないのです。どう見ても医者に見えないきさくなメガネの「おばちゃん」が、実は先生なのです。
ですが、近所や高槻市では、口コミでこの医者の評判は広まっており、予防接種や風邪の流行り時期は、いっぱいになります。
そんなきさくな「おばちゃん」が医師を志したのは、なんと30歳。
そして先生は3人のお子さんを育てつつ、なんと37歳で国家試験に合格されます。
まるで日本のパッチ・アダムスのような中村先生。
先生は何故医師を志したのでしょうか?
25歳で結婚された中村先生。専業主婦として日々を過ごし、28歳で長女が生まれます。奥様は魔女のナレーションのように、順風満帆な人生のハズでした。
ところが、長女の1ヶ月検診で娘さんが心臓の難病であるファロー五微症を患ったことを知ります。
「お医者さんの言ってることがわからへん。なら医者になるしか無いわ!」
先生が何を言っているかわからない。
もう少しこういう所を説明して欲しい・・・。
我が子の病気のことが、医師から上手く説明されない・・・。
この出来事が、中村先生が医師を目指すきっかけとなりました。
思い立ったその日から、先生は家事と娘の看病をしながら勉強を始めました。
まだ幼く体の弱い娘さんは恒常的に発作が起こり、毎日は不安だらけでした。体重が増えるまで手術はできなかったからです。
今日死ぬかもしれない。
明日死ぬかもしれない。
不安を抱えた日々が毎日続きます。
そんな中でも、1日1日を大切にすると決め、日曜日には思い出つくりとして、娘さんをいろいろな場所に連れて行くなどしたそうです。
そんな過酷な状況の中にあっても、先生は医師になる夢を諦めませんでした。
勉学の方は、お金が無い上、病を抱えた娘がいるため、予備校へ行く事はできず、独学の日々が続きました。先の見えない不安の中でしたが、先生は当時の事をこうおっしゃっています。
「お金が無いんで、予備校なんかは全然行けなかったんですよ。
最初、試験勉強なんて全然わからないんです。
こんな問題どうやって解くんや!と全然お手上げだったけど、それでもやる。無駄かもしれない。無理かもしれないけど、やっていくと、不思議と何かが見ててくる。方向が見えてくるんです。それをもっとやっていくと、道がだんだん開いて行くんです。」
医師を目指すと志した28歳から2年後の30歳。
なんと京都府立医科大学に合格します。
先生は当時のことを笑いながら語ります。
「殆どの学生さんが、一回りも下だから、皆から見ればおばさんです。周りも変な人やなぁと思ってたやろうけど、まぁそこそこそれなりに楽しく若い子たちと勉強しました。」
先生が大学に通う間、3歳半になって手術を受けられるようになった娘さんは9時間にわたる大手術でしたが、手術は成功。さらに在学中に2人のお子さんが生まれ、「おばちゃん医学生」は、3人の子育てをしながら学業もこなすという日々を過ごします。
そして遂に37歳で医師国家試験に合格。47歳で小児科開業し、今に至ります。そんな過酷で、マジフィクションのような現実を過ごした先生は自分のことをこう語ります。
「(専業主婦が、30歳を超えて医師になることを)特別と思ったことはないです。むしろ、専業主婦が頑張って、もっと医学部に入ったら良いんじゃないかと思います。」
「わかりやすい言葉で、専門用語を使わないでスパッと説明するように心がけています。井戸端会議的な感覚の中で、医療者として情報を伝えられたらな、と。このお母さんやったら、どんなふうに伝えたら分かってくれるやろうなって事は自然と考えるようになってます。」
ドラマや漫画のような現実を過ごしてこられた中村先生に、素直に驚嘆してしまいます。だけど、先生のこの嘘のような本当の話を振り返ると、やってやれないことはないと思えてきます。
ボクはすぐ諦めちゃうんですけどね。
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